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kotoには、それぞれ異なる背景を持ったブランドが並んでいます。

国も違えば、ルーツとなるカルチャーも違う。
つくられているものや、その表現もそれぞれ違います。

ラインナップだけを見れば、ひとつのジャンルには括りづらい店かもしれません。

でも、自分たちの中では、それぞれを選んでいる理由はどこかでつながっています。

その理由を考えていくと、自分たち自身がこれまでどう服と付き合ってきたのか、というところに行き着きます。


20代前半の頃は、今よりもっと服の力を借りていたように思います。

デザインの強いものや、存在感のあるものを身に纏うことで、本来の自分以上に、自分というものを見せたかったのかもしれません。

もちろん、それが悪かったとは思っていなくて。

いつもと違う自分になれたり、少し自信を持てたり。
意外な組み合わせを考えたり、見たことのないものに惹かれたり。

純粋に、着ることが楽しかったんだと思います。

今の感覚にも、その頃に見てきたものや、触れてきたカルチャーは色濃く残っています。

ただ、年齢を重ねるにつれて、少しずつ服との距離が変わってきました。

仕事をして、人と出会って、好きなものが増えて。
逆に、自分には必要のないものも少しずつ分かってくる。

そういう時間を重ねる中で、自分がどういう人間なのか、その輪郭も少しずつ見えるようになってきた気がします。

そうすると、服だけで自分をつくる必要がなくなってきました。


若い頃、大人の人たちの装いを見て、正直、少し味気なく感じることがありました。

もっと面白いものを着ればいいのに、と。

でも、自分たちが少しずつその年代になってみると、当時は見えていなかったものがあったんだと思います。

その人がしている仕事。
普段どんな生活をしているのか。
何が好きで、何を見てきたのか。
どんな時間を積み重ねてきたのか。

そういうものは、着ているものだけを見ても分かりません。

でも、なぜかその人の佇まいには出てくる。

必要以上に着飾っているわけではないのに、格好いい。

昔なら物足りなく感じていたかもしれないけれど、今は、その人自身も含めてスタイルなんだと思えるようになりました。

むしろ、着飾らなくてもその人が見えることに、ある種の強さや美しさを感じます。


kotoで考えている「余白」という言葉も、そこにつながっています。

余白というと、シンプルなものや、削ぎ落としたスタイルを想像するかもしれません。

でも、自分たちが考えている余白は少し違います。

その人の仕事や生活。
好きな音楽や、これまで触れてきたカルチャー。

そういうパーソナルな部分も、スタイルをつくる一つの要素だと思っています。

だから、着ているものだけですべてを語らなくてもいい。

その人自身が入る余地を残す。

そのくらいのバランスが、今はすごく心地よく感じます。


とはいえ、服の持つ面白さを手放したいわけではありません。

今でも、ひとつのものを見て高揚することがあります。

少し意外なバランスだったり、
「そこに、それを合わせるんだ」と思う組み合わせだったり。

一見すると必要がないように思えるディテールに惹かれることもあります。

そういう遊びや意外性は、これまで触れてきたさまざまなカルチャーとともに、今も自分たちの中に根強く残っています。

それをなくすのではなく、その人自身という軸の中に自然と取り入れていく。

今は、それくらいの距離感がちょうどいい。


だから、kotoにはいろいろなブランドが並んでいます。

それぞれが同じ方向を向いている必要はないと思っています。

佇まいの美しさに惹かれるものもあれば、強いカルチャーを背景に持つものもある。

素材やつくりに惹かれるものもあれば、これまでとは少し違う感覚を持ち込んでくれるものもある。

そして、そのブランドが何を背景に持ち、どんな考えでものをつくっているのか。

そういう部分も含めて、共感できるものを選んでいます。

着る人を中心に置いて考えれば、違うカルチャーや背景から生まれたものでも、同じ人の中に自然と存在できる。

その人がこれまで見てきたものや、今の生活、気分。

そういったものを通して選ばれ、組み合わされることで、その人なりのスタイルになっていく。

だから、kotoのキュレーションをひとつのジャンルに揃える必要はないと考えています。

異なる背景を持ったものが同じ場所に存在し、そこから生まれる関係性にも面白さを感じています。


服によって、その人を完成させるのではなく。

すでにそこにある、その人自身の上に服が重なっていく。

そこには、その人が過ごしてきた時間や生活があって、少しの違和感や遊びがあってもいい。

その人自身がちゃんと見えていて、それでもスタイルとして格好いい。

そんなものを、自分たちなりの視点で集めていく。

今のkotoのキュレーションは、自分たちがこれまで服と付き合ってきた中で見つけた、ひとつの答えです。